明子の二歩あるいて三歩さがる
わたしのミッドライフクライシス──翻訳という仕事

わたしのミッドライフクライシス──翻訳という仕事

40歳を過ぎてフリーランス産業翻訳者になった。それは金融業界を離れたわたしの後半生のライフスタイルに合った仕事に思えた。現実問題としてそれは自分のスキルと社会のニーズが合致し、継続的に依頼が来た唯一の「プロ仕事」だったともいえる。翻訳は自宅にパソコンとネットさえあればできる。初期投資はほとんどない。基本、どこにいてもできる。その代わり生産性は低い。収入は前職から正味10分の1になった… [全文を読む]
すごい人の時代

すごい人の時代

世の中にはすごい人がいる。たとえば、桐島かれんさん。圧倒的な美貌、センスの良い服、旅行、インテリア、食事。円満で幸福な家庭と優雅な日常。それらを商品化し、40代後半で本格的に社会での活動を再開。「ハウスオブロータス」というライフスタイル・ブランドを育てた。今、ハウスオブロータスは青山の洋館風の路面店をはじめ、全国で6店舗を展開している。最初、海外で買い付けた安価な雑貨中心だった品揃えの中心は、徐々にブランド仕様のデザイン品や高単価の… [全文を読む]
シンガポール讃④──相続税がない世界

シンガポール讃④──相続税がない世界

1月に訪れたシンガポール。ビジネスと商業の中心街のエスプラナードで久しぶりに現地の女友達のケイト(中華系、仮名)とペナン料理バイキングを食べた。よもやま話のなかで、彼女の父親が長寿を全うして亡くなったという話になった。ケイトは9人兄弟の末っ子だ。日本の相続は長子相続の伝統に兄弟姉妹平等の戦後民法が覆いかぶさり複雑だ。一方、中国にはもともと長男が家督を継ぐという考えがなく、兄弟の均等相続の… [全文を読む]
シンガポール讃③ ──欧米コネクションという縦糸

シンガポール讃③ ──欧米コネクションという縦糸

シンガポールは欧米文化の成分が濃い。19世紀に作られた植民地建築は今もシンガポールのランドマークだし、島内にはエクスパットといわれる富裕な欧米人が今も多く住んでいる。港町らしいレトロでハイカラな空気感は横浜や神戸に通じるものがある。とはいえ、シンガポールの欧米コネクションは横浜や神戸より、さらに古く、深く、太い。シンガポールやマレーシアでは昔から白人は「アンモー(Ang Mo、紅い毛の人)」と呼ばれ… [全文を読む]
シンガポール讃② ──世の趨勢に従え!感傷を捨てよ!

シンガポール讃② ──世の趨勢に従え!感傷を捨てよ!

一昨年、91歳で大往生を遂げたわたしの義父は商社マンだった。日本が独立を回復する1年前の1950年。戦後一番乗り、弱冠25歳でGHQの許可を得て東南アジアに渡った。シンガポール川の河口、ボートキーに並ぶ華僑のショップハウスをドブ板営業して松坂木綿を売り、外貨を獲得したという。60年近くの時を経てシンガポールを再訪した義父はシンガポール川河畔に立ち尽くし、つぶやいた… [全文を読む]
シンガポール讃① どんな言葉並べても君を讃えるには足りない

シンガポール讃① どんな言葉並べても君を讃えるには足りない

国に愛おしさを感じるとは一体、どういうことだろう。それも自分の国ではなく他人の国に。若くて元気な熱帯の都市国家、シンガポール。日本から飛行機で南に一路7時間。時差は1時間だ。東京都23区の広さの島に500万人の人口。国といっても外国人だらけ、まるで租界地のようだ。建国からわずか54年のこの歴史的な東西交易の結節点にはあらゆる所得層、人種、国籍… [全文を読む]
シンガポールとフランスの単純労働者──冷たいは温かい、温かいは冷たい

シンガポールとフランスの単純労働者──冷たいは温かい、温かいは冷たい

外国人労働者を受け入れる枠組みとなる入国管理・難民認定法の改正案が昨年、12月8日に成立した。わたくしごとだが、筆者はフランスとシンガポールに住んだことがある。どちらの国も生活や産業のさまざまなシーンで単純労働を外国人に頼っていた。日本以上に外国人を積極的に受け入れていた点は共通していたが… [全文を読む]
パーティーが終わらない時代のメメントモリ

パーティーが終わらない時代のメメントモリ

Facebookを始めたのは2008年だった。当時、シンガポールに住んでいた。子供の学校の親仲間に言われて登録すると、すでに友達申請が来ていた。だからわたしのFacebook上の名前はローマ字で、友だち第一号はインドネシア人のママ友だ。彼女のタイムラインの雑多な投稿に混じり、一葉のグループ写真にわたしの名前がタグ付けされていた。自分のタイムラインに移ると同じ写真が載っていた… [全文を読む]
もしダライ・ラマがいなくなったら──すべてを包みこむ象徴の重み

もしダライ・ラマがいなくなったら──すべてを包みこむ象徴の重み

チベットの精神的指導者ダライ・ラマは、2018年秋に25回目の来日を果たした。横浜、東京、千葉、福岡で法話や講演を行ったほか、NHKなどのマスコミインタビューにも応じ、10日間の来日日程を精力的にこなした。今回の来日の最大のイベントである横浜パシフィコの3日間の法話、灌頂は、平日午前中の開催… [全文を読む]
チベット旅行で思ったこと、感じたこと⑥ パノプティコンと焼身自殺

チベット旅行で思ったこと、感じたこと⑥ パノプティコンと焼身自殺

ラサは中国国旗が至るところに舞い、検閲所のボディスキャナーを通過しなければ街に入れない。中心街を通り抜けることもできない。チベット亡命政権はその状況を監獄にたとえている。だが、そこは明るい笑顔と活気ある人々の生活もあった。ラサは成長する経済の足音が聞こえ、寺院が修復され、観光産業が振興する街… [全文を読む]
チベット旅行で思ったこと、感じたこと⑤ 青蔵公路、冬虫夏草

チベット旅行で思ったこと、感じたこと⑤ 青蔵公路、冬虫夏草

青海省西寧とチベット自治区ラサをつなぐ青蔵公路は片方一車線しかない。道は青蔵鉄道と平行している。追い越し車線のないその一本道を観光用の四輪駆動車やミニバン、物資輸送用トラック、そして軍事演習前後の軍用車が走る。なかでも一番多いのは物資輸送のトラックだ。チベット自治区ナンバーや近隣省の… [全文を読む]
チベット旅行で思ったこと、感じたこと④ 草原の憂鬱

チベット旅行で思ったこと、感じたこと④ 草原の憂鬱

過去3回の中国・チベット旅行のうち2回は北京の旅行代理店で旅程を組んでもらった。中国との往復航空チケットだけ自分で手配し、訪問希望地を伝え、後の手配は全てお任せ。ホテル、観光名所のチケット予約、移動手段の確保など、全て事前にやっておいてもらう。やりとりは電子メール、言葉は英語、支払いはクレジットカード。完全カスタムメイドなのにわずか3日ほどでアレンジが終わる。中国到着後は一人のガイドが全旅程を… [全文を読む]
チベット旅行で思ったこと、感じたこと ③ 回る人たち

チベット旅行で思ったこと、感じたこと ③ 回る人たち

チベット人の習俗の大きな特徴の一つは、「回ること」だ。チベット語で「コルラ」と言う。寺の境内の周りを回る、バルコル(ラサの巡礼路)を回る、仏塔の周りを回る。据付けられたマニ(祈祷)車を次々と回しながら、あるいは、手に持つデンデン太鼓のようなマニ車を右回りに回しながら。あるいは、数珠を操り、経文を唱えながら。五体投地をしながら… [全文を読む]
チベットで見たこと、思ったこと② 爆、爆、爆!

チベットで見たこと、思ったこと② 爆、爆、爆!

観光スポットにバスが着くや、中国人観光客がぴょんぴょん飛び出して来る。ソーシャル用の証拠写真を撮るために。大人も子供のように走り回る。ゴミをポイ捨てする。ツバを吐く。叫ぶ。どなる。携帯スピーカーからウィーチャットに話しかけ続ける。酸素ボンベのチューブを鼻から垂らして騒いでいる人もいる。ホテルのバイキングでは、食べ物をごっそり皿に盛り、ごっそり残す。箸を直角に皿に突き刺し、首を低く突き出して… [全文を読む]
チベットで見たこと、思ったこと ①

チベットで見たこと、思ったこと ①

夏休み、初めてラサを旅行した。高山病にならず、交通事故に遭わず、公安にスマホを取り上げられることなく、拘束されることなく、飛行機の遅延もなく、日本に戻ってこられて良かった! 2008年のチベット騒乱から10年。中国にとってチベットはどんどんセンシティブのレベルが上がっており、なるべく外国の関心がそこに向かないようにしているように見える。チベット自治区には、もはや外国人は数えるほどしか住んでおらず… [全文を読む]