私の本棚発掘

第20回

ホセ・リサール著/岩崎玄訳『ノリ・メ・タンヘレ──わが祖国に捧げる』井村文化事業社、1976年

『ノリ・メ・タンヘレ』書影『ノリ・メ・タンヘレ』書影

 前回のコラムで井村文化事業社が1978年から1980年にかけて12冊のフィリピン双書を出したと紹介したが、本書はその1冊目であり、著者による2冊の小説の1冊目の小説でもある。原著の初版はスペインによるフィリピン統治末期の1887年3月にベルリンで発行された。スペイン語で書かれ、原著名は『Noli Me Tangere』。これはラテン語で「われに触れるな」という意味だそうだが、このタイトルは本書の内容とはあまり関係がないとは翻訳者の言である。

 著者のホセ・リサールはフィリピン独立運動の指導者、フィリピン国民の英雄とされ、今もフィリピン国民から尊崇を受けている。以下、訳者の解説などを参考に彼の経歴を簡単に紹介する。彼の一家が受けた悲運などについては省く。

 ホセ・リサールは1861年6月19日、マニラに近いフィリピン最大の湖・バイ湖の畔の町カラムバで生まれた。フィリピンで一定の学業を修めたが、革命的思想、言辞の故に身の危険を感じ、1882年、スペインへ旅立った。

ホセ・リサールホセ・リサール

 同年末、マドリッド中央大学に入学。医学、哲学、文学各コースの学位を受けた。この間にフリーメーソンに加入した。84年には、2人の同国人画家が展覧会に入賞したのを祝う集いで演説し、フィリピンを踏みにじっている「偏見と狂信と不正」を訴えた。これがフィリピンでも報道され、兄から「あの演説は多くの敵をつくった。今帰国するのは賢明ではない」という忠告の手紙を受け取った。

 大学での勉強を打ち切ったホセ・リサールは、85年秋からパリに移って医学の実習をし、さらにそこから各地を見学しながら旅行し、86年10月にベルリンに落ち着いた。ここで本書を刊行した。

 ホセ・リサ-ルは1987年にマニラに戻ったが、フィリピンの支配勢力の修道会は『ノリ・メ・タンヘレ』を異端、反信仰、修道会に対する中傷、非愛国、公序を乱すものなどとして政府にホセ・リサールに対する弾圧を迫った。当時の総督はホセ・リサ-ルに好意的で、彼の身に危険が及ぶことを心配し、彼に国外退去を勧告した。

『ノリ・メ・タンヘレ』初版本の写真『ノリ・メ・タンヘレ』初版本の写真

 88年初め、リサ-ルは、日本、アメリカを経由してヨーロッパに渡った。この頃、スペインのバルセロナでは、フィリピン人コロニーの機関誌「ラ・ソリダリダッド」の刊行が始まっていた。この活動はフィリピンの歴史ではプロパガンダ運動とよばれており、リサ-ルはこの運動の強力な闘士となり、活発な寄稿家になった。この時期の論文では、希望する改革が与えられなければ、やがてフィリピンが独立運動を起こす事態が来ると主張している。

ホセ・リサ-ルは91年、2作目の小説『エル・フィリブステリスモ(邦題『反逆・暴力・革命』)』を刊行した。ホセ・リサ-ルの小説はこの2作だけだ。邦訳はやはり井村文化事業社から1976年に発行されている。
 ホセ・リサールは92年6月にマニラに戻ったが、翌月には逮捕され、ミンダナオ島に流刑となり、そこに4年間とどまった。96年、マニラに戻ってからは外部との接触を極力断っていた。

『反逆・暴力・革命』の書影『反逆・暴力・革命』の書影

 ところが、その年の8月、フィリピン革命の原動力となった秘密結社カティプナンが蜂起し、ホセ・リサールはそれに関係ありとしてスペインに向け航行中の船内で逮捕された。その後、形式的な裁判で銃殺刑を宣告され、1896年12月30日に処刑された。革命軍は彼の死を受け「ホセ・リサール万歳」を叫び、志気を振るい立たせたという。

 本書の冒頭には、著者による「わが祖国に」という序がある。全文を紹介する。

わが祖国に(序)
 人類の歴史に、ひとつのがんが記録されている。それはきわめて悪性のものであって、ちょっとでもそれに触れると、その刺激が、はなはだしく鋭い痛みを与える。さて、わたしが近代文明のただなかにあって、あるいはおまえの思い出にふけろうと思い、または他の国々と比較しようと思って、なんどお前の姿を思い起こそうとしたことだろう。しかしそのたびごとにわたしの前にあらわれたなつかしいおまえは、いつもこれとおなじような社会的ながんに苦しんでいる姿で目の前に現れるのだった。
 私たちのものであるおまえの健康をこい願うがゆえに、また最善の治療法をさがしもとめるために、わたしはおまえの病気に対して、古代人のやったやり方を、お前といっしょにやろうと思う。つまり、神に祈りに来る人々が、その療法を教えてくれるように、病気を神殿の階段にさらけ出すのである。
そこでこの目的のために、おまえの現状を、なんの手かげんもせずに、忠実にここに描き出してみようと思う。わたしは真実のためにはすべてを、自尊心でさえ犠牲にして、この病をおおうベールをもちあげることにしよう。なぜなら、わたしもまたお前の子として、おまえの欠点と弱点とのために苦しまなければならないからである。

 ヨーロッパ、一八八六年 著者

 「わが祖国に」で言うところのがん、諸悪の根源とはなにか、それはスペイン統治下の圧政、またそれ以上にカトリックの修道会が政治、経済、宗教の全てにわたってフィリピン、フィリピン人を支配し、抑圧していたことにある。本書によれば、フィリピン人はスペインの統治者からは土人と称され、さげすまれていた。

 小説では、このがんから祖国フィリピンを救うためにどうすればよいか、現状を必要悪と認め、穏健な改良にとどまるか、それとも暴力を伴う革命に走るか、などと悩む主人公のイバルラを初め、謎の船頭エリアス、老哲学者のタシオらの苦悩が彼らの会話、行動を通して示される。本書は二段組みで370ページを超える長編小説で、登場人物が多く、筋も複雑だ。以下、主人公たちの言動を中心に、小説の大筋を追うことにしよう。
 なお、コラムの小見出しは、コラムの内容に合わせ筆者が付したもので、本書の中の見出しとは関係がない。

イバルラとダーマソ神父の出会い

 10月末、一代で財を成した現地人の富豪カビタン・チャゴの家で晩餐会が開かれていた。この晩餐会には修道会士を初め町の名士、紳士淑女の多くが招かれていた。その中にはフランシスコ会修道会士のダーマソ師(神父)がいた。彼は何かにつけて下の者を殴るので棍棒神父というあだ名があった。カピタン・チャゴがヨーロッパから当地に着いたばかりの青年ドン・クリストモ・イバルラをみなに紹介した。この青年イバルラは人並みすぐれた身長で、その顔つきと動作とは健全な青春の輝きを見せていた。カピタン・チャゴはイバルラの父とは親交があり、イバルラはカピタン・チャゴの美しい一人娘マリア・クララと愛し合い、早くから婚約を交わしている間柄だった。

 イバルラはダーマソ師を見かけると、「ダーマソ師だ。私の父の親友の!」と話しかけたが、ダーマソ師は、あなたの父上は、けっしてわたしの親友ではなかったと答えた。とりつく島もない冷ややかさだった。

 後に明かされるが、ダーマソ師は一年前、イバルラの父を迫害して死に追いやり、墓からその死体を掘り出させ、湖に投げ捨てさせるという侮辱を与えており、イバルラにとっては父の仇とも言える人物だった。イバルラの父は金持ちで、正義の士、貧乏人にも情けをかける人物として尊敬され、愛されていたが、敵対者からフィリプステロ(スペインの統治を打倒し、国を独立させようと志す者を指し、最大の悪とされた)、異端者とされ、逮捕され、イバルラがフィリピンに戻る1年前に獄死していた。父はフィリピン生まれのスペイン人、母はフィリピン人だった。

 イバルラは晩餐会を早々に辞し、父の財産が残るサン・ディエゴの町に向かった。
 

イバルラの改革への思い

 イバルラを父の遺体が捨てられた湖の現場に連れて行ったのは、イバルラの父に大変世話になったという小学校教師だった。この場面では主に小学校教師がフィリピンの小学校教育のどうにもならない現状を訴える言葉が10ページにわたり書かれているが、その初めの方でイバルラの現状改革についての考えの一端が語られる。

 わたしはよくよく考えたのです。そして(子供に立派な教育を施すという)父の考えを実現することが、涙を流すよりもましだ、かたきをうつよりもずっとましだと信じています。聖なる大自然が父の墓になりました。そして、父のかたきは町民であり、司祭であった。だがしかし、町民は無知なのだから許したい。司祭は尊敬したい。その人の性格のゆえに、また、社会を教化する宗教が尊敬されることをこい願っていますから。わたしは、わたしに生を与えてくれたものの精神をうけつぎたいと思っています。

 イバルラはこう言い、教育の障害になっているのは何かを知りたいと小学校教師に説明を求めた。話の最後に、イバルラは、そう気をおとさないようにしよう、副町長から集まりに来るようにと招待されている、そこであなたが提起した問題に対する回答が得られないとも限らないと慰めた。教師はこの言葉への疑いのしるしに首をふり、自分が聞かされた計画も、自分と同じ(なす術なく死んでいく)運命におちいることだろうと答えた。小学校教師が聞かされた計画とは、イバルラが計画している小学校建設のことだったろう。

謎の船頭エリアス

 ある日、イバルラとクララを中心としたそれぞれ数人ずつの男女のグループ、それに数人の老女たちが湖にピクニックに出かけた。一行はバンカと呼ばれる小船の大き目なものを2隻つないだ船に乗り込み目的地に向かった。この場面で、しばらくは謎の人物として描かれる若い屈強な船頭が登場する。この若い船頭は魚を囲う養魚池のような施設でワニと格闘し危うい目に遭うが、イバルラが助勢して彼の命を助けた。これが縁で2人の間に交流が始まる。後に船頭の名はエリアスで、お尋ね者であることが明かされる。エリアスはこの後、陰に陽にイバルラを助けることになる。
 小説のほとんど最後に明かされるのだが、イバルラとエリアスの双方の祖父には深い因縁があった。

イバルラと老哲学者タシオとの会話

 イバルラは未来の妻クララへの贈り物として町に子どもたちのための小学校を建てることにした。
 イバルラはマニラから届いた学校の設計図を携え、父の相談相手だった老哲学者タシオのもとを訪れた。イバルラはこの計画を成功させるために誰を味方につけるべきかをタシオに聞きたかったのだ。タシオはイバルラがやろうとしていることは自分の夢だったと涙を流しながら、自分の所に二度と相談に来るなと忠告するのだった。タシオはその理由として皮肉をこめ、まともな人たちは自分を気ちがいだと言っており、彼らはあなたも気ちがいだと思うからだ、人びとは自分たちと同じ考えをしない者を気ちがいだと信じるものだと言った。タシオは、更にフィリピンの現状に悲観的な見解を縷々述べ、イバルラのあらゆる努力は司祭の壁にぶつかり、こなごなになってしまうだろうと予告した。

 このやりとりの中でイバルラは、我々は、わが国民がほかの国のように不平も言わなければ苦しみもしない、ということをもって満足すべきだと述べた。これに対しタシオは次のように反駁した。

 人民が不平を言わないのは声を持っていないからです。動かないのは、眠らされているからです。あなたは苦しまないといいましたね。それはかれらの心が血を流しているのを、あなたが見たことがないからですよ。だがいつかは、あなたもそれを見、それを聞くでしょう。……何世紀ものあいだ圧縮された力が、一滴一滴と蒸留されていった恨みが、おしこめられていたため息が、光にあたって爆発するでしょう。……人民がつぎつぎと提出するこの勘定、そしてわれわれを歴史の血塗られたページにとじこめていたこの勘定の支払いは、いったいだれがするんだ?

 この予告めいた言葉にイバルラは、フィリピンには暴政も欠点もあるが、母国スペインはそれらをただす改革を取り入れ、いろいろな計画を作りあげる努力をしていると答えた。

 タシオはもう一つの忠告として、司祭に、町長に、そしてすべて地位ある人に相談すること、それはあなたが種をまこうとする畑が敵の手中にあり、これはあなたが頭をさげるか、首をなくすかの問題だと指摘した。これに対しイバルラは、「あれらがいっしょになって父を殺し、墓をあばいて父の死体をほうり出したことを……その倅のわたしは、決して忘れやしません。だがわたしが報復しないのは、宗教の威信を考えているからです」と答えた。
 2人のこうしたやり取りは10ページにわたっているが、最後にタシオはイバルラを見送りながら、「さあ気をつけろ! 墓場に始まったこの劇を、運命がどう展開させるか、じっと見まもることにしよう!」とつぶやいた。
 先の小学校教師も老哲学者も、イバルラの現状肯定的な、どちらかと言えば無邪気な考えを疑問視し、先行きを不安視していることが分かる。

エリアスの警告

 この後小説では、11月初めに前夜祭を含め3日間続くサン・ディエゴの町をあげての賑やかな祭礼の模様がおよそ90ページにわたり詳細に描写される。この祭礼の最中に事件が起こった。

 祭礼の最終日にはすでに建築が始まっていたイバルラの近代的な学校の着工式が州の長官も出席して行われた。イバルラが長官に促され最初の基石を穴の中に置こうとしたとき、傍らの木で組み立てられた起重機が轟音を響かせて崩れ落ちた。イバルラは無事だったが1人の男が彼の足元で死亡した。この事故の様子をじっと見守っていたのがエリアスだった。

 翌日、イバルラのもとを訪ねて来たエリアスは、次のように警告した。

 あなたは高い階層にも低い階層にも敵を持っています。あなたは大きな事業を計画している。あなたには過去がある。あなたのおとうさん、おじいさん、みんな敵を持っていた。それは情熱を持った人たちだったからだ。人の世では、他人の憎しみを招くのは、罪人ではなくてまじめな人なのです。……あの仕組みが倒れた時、自分が犯人をつかまえていました。その男は自分が殺したのではなく神の手によって殺されたのです。

 その男とはイバルラの足元に倒れていた男で、石を置く仕事の指揮を執っていた男だった。男がイバルラを殺そうとしていたことが暗示される。

イバルラの怒り

 この祭りの後、イバルラと彼と親しい人たちの生活は暗転し、悲劇へと落ち込んで行く。
 ある日、プロビンスの要人たちが食事を共にしていた。長官、カピタン・チャゴ、少尉、町長、聖職者たち、役人、それにイバルラ、クララや若い娘たちもいた。食事が終わりにさしかかった頃、ダーマソ神父が姿を現した。
 ダーマソ神父はイバルラが建てている小学校をけなしたあと、暗にイバルラを嘲笑し、更に言いつのった。

 貴殿らもよくご存知じゃろうが、土人がどういうものかは。ちょっと学問をすれば、もう博士気取りじゃ。鼻たれ小僧までがヨーロッパへ行きよって……こんなろくでなしの親どもは、すでにこの世で罰をうける……監獄で死ぬようなことになってな、へへ!われらのいうようにこれらの者どもは……

 司祭は終わりまで言うことができなかった。真っ青な顔でダーマソ神父を目で追っていたイバルラは、父に対し司祭があてこすりをいうのを聞くや、彼にとびかかり、逞しい手を司祭の頭に打ちおろした。イバルラはあおむけに倒れた司祭の首根っこを足でふみつけながらそばにあった鋭いナイフを手にし、まわりの人たちに「近よるな!」と恐ろしい声でどなり、これまでこらえていた怒りを一気にぶちまけた。

 お聞きください。自分たちには別の権利があると考えていらっしゃる聖職者と裁判官どの!わたしの父は誠実な人間だった。かれの思い出を尊敬している人たちに聞いてみなさるがいい。私の父は善良な公民だった。かれは、わたしとこの国の幸福のために犠牲を払った。他国者のために、また世にすてられたものが困窮してやって来るのに対して、かれは家を開放し、食卓を整えてやった。かれは善良なキリスト教徒だった。かれはつねに、善をなし、寄る辺のない者を圧迫し、貧困な者を苦しめるようなことはけっしてしなかった……かれは、かれらを友とよんだ。
 その父に対して、こやつは何をもって報いたか?無実の罪を着せ、父を迫害し、自己の神聖な任務を利用して、無知の大衆を父に対して立ちあがらせ、墓に暴行を加え、死後の思い出の名誉を汚し、死の静けさの中においてまで父を迫害したのだ。そしてそれでまだ満足せず、今やその子を迫害している! わたしはやつから逃げかくれ、やつのいる所はさけてきた……やつは説教壇の神聖を乱用し、わたしを人々の狂信の前にさらしものにしたのをお聞きだったろう。それでもわたしはだまっていたのだ。今はここへやって来てけんかを売りつけた。わたしは皆さんがふしぎに思われるほど、黙ってがまんした。だがやつはすべての子にとってもっとも神聖なるべき思い出をまたも侮辱した。ここにおいでの聖職者と裁判官どの、あなたがたの年とった父親が、あなたがたのために夜の目も寝ずに働き、あなたがたが外国にいる間に、獄中でもう一度その子を腕に抱くことを熱望しつつ、病気になって死んでいくのを見たらどうだ……そして死後その名がけがされ、その墓へ行って祈ろうとしたら、その墓はもぬけのからだったことがわかったとしたらどうだ!返事はないか!……さらば、きさまは有罪ときまった!

 イバルラがナイフを持った手をふりあげたその時、マリア・クララがその腕をおさえた。イバルラは、ついには修道士の体と、ナイフを手ばなし、両手で顔をおおうと、一目散に走り去った。

ダーマソ神父の報復、総督との会話

 この報復はすぐに来た。ダーマソ神父はイバルラとクララの婚約の破棄とイバルラの破門を命令した。
それから間もなく、イバルラは祭りの終わりにカピタン・チャゴの邸を訪れた総督と面会し、自分の最大の希望は、政府が適切な改革の末に与えることのできるわが国の幸福だと訴えた。かねてからイバルラに好意を抱いていたらしい総督は、「あなたはこの国で、自分がともに語った最初の人物だ」とし、イバルラの破門については自分が大司教に話をつける、自分はイバルラを保護すると言った。更に自分は一ヶ月以内にこの国を立つ、イバルラの教育と考え方はこの国に不向きだ、いっしょにヨーロッパへ行こうと誘った。これに対し、イバルラは、自分はわれわれの父祖の生きていたこの国に生きなければならない、とこの誘いを断った。

 総督の好意にもかかわらず、イバルラとクララの婚約は破棄され、クララには出自の怪しげな青年が新たな結婚相手として押しつけられた。クララは病気になり、華やかな笑顔も生気も失われた。

イバルラとエリアスの会話

 ある日、イバルラは学校の建設現場を訪れ、労働者の中にエリアスを見つけた。エリアスは彼に、自分と話す機会を与えて欲しい、重大な話があると言った。実は、エリアスはこれより先、森の中に隠れ、武装蜂起を企てている旧知の山賊の老頭目のもとを訪れていた。そこでエリアスはイバルラについて話し、善良な心を持ち、総督の友達でもある若い金持ち、つまりイバルラを人民の不平の提出者にしてはどうか、流血の手段をとる前に彼に希望を托してはどうかと提案した。老頭目は、金持ちはあてにならないとしぶった。しかしエリアスが、もしイバルラへの希望が叶えられなければ、我々の企てる闘争の中で自分が命を落とす最初の人間になると誓い、老頭目はエリアスの説得を期限付きで受け入れた。

 それでこの日の2人の話し合いになった。
 日没前にイバルラは湖の岸辺のエリアスのバンカに乗り込み、エリアスとの話し合いを持った。エリアスは、自分は多くの不幸な人々の願いを持参しているとし、山賊の老頭目との話し合いをかいつまんで話し、不幸な人々の望むことについて語った。

 彼らの望むことは軍隊、聖職者組織、司法行政制度の根本的改革、すなわち政府の側からの父のような愛を望むということです。……たとえば、人間の権威をもっと尊重すること。個人の安全をもっと保証すること、すでに武装している権力の行使を制限すること。とかく権力を濫用しがちな組織の特権を制限することなのです。

これに対するイバルラの返答。

 わたしは、マドリッドの友人たちに金を払って発言させることができるだろう、また総督にも話すこともできるだろう。しかし前者は何の効果も期待できない、また後者にはそれほどの改革を遂行するだけの権力がない。それにどちらかといえば、わたしもそういう挙には出たくない。それというのも、これらの組織が沢山の欠陥を持っているのは事実だが、これらは今必要なものなのだ、必要な悪ともいうべきものだということをわたしがよく理解しているからなのだ。……今やこの国は慢性の病気に苦しんでいる有機体だが、それをなおすためには、政府は荒っぽい、きみにいわせれば過激な、だがしかし有効で必要な手段をもちいなければならない。

 2人のやりとりは8ページにもわたり続くが、基本的にはこの線を出ることはなかった。最後にイバルラが、自分がこの国を愛するのは、自分の幸福はこの国のおかげだからだと言ったのに対し、エリアスは自分の不幸はそのおかげだからだと返し、イバルラの求めに応じて祖父の代から迫害を受け続けた悲惨な家族の歴史を物語った。
 その上でエリアスは、自分たちだけでは無力だ、人民と一体になってくれ、人民の声に耳を閉ざさないでくれと迫ったが、イバルラは

 大衆をひきい、政府がまだ時宜にかなっていないと思うものを、力によって獲得する、そういう人間にはぼくは絶対になりたくない!もし大衆が武装しているのを見たら、ぼくは政府のがわにたってかれらを打ち破るだろう。

 と答えた。エリアスの反論、

 闘争がなくては自由もありません、自由がなければ光もないんです!あなたはこの国をよく知らないと言ったが、ほんとうですね。あなたは刻々とかもされている闘争が見えない。闘争は……地を血で染めるものです。それに逆らうものは災いです。

 2人の間に沈黙が続いた。そしてエリアスは、今後は自分のことを忘れるように、どんな状況のもとで会っても知らないふりをするようにと言い、イバルラに別れを告げた。エリアスはこの後、山賊の老頭目の使者に会い、「エリアスが先に死ぬという約束は守るといってくれ」と伝えた。

イバルラの逮捕

 ある夜の8時、暴動が起こり兵営を襲った。カピタン・チャゴの家にいたイバルラはその情報を事前に聞き、慌てて家に帰った。そこへエリアスが現れ、イバルラを謀反人として陥れる陰謀が行われようとしている、すぐに逃げるようにと告げた。2人はイバルラの逃走を前に、イバルラの家にある手紙や重要書類の処分を始めるが、その過程でイバルラの祖父こそエリアスの祖父を中傷し、エリアス一家の不幸のもととなった「卑劣漢」であることが判明する。憎しみを露わにしたエリアスは近くにあった短剣をふたふり取り上げ、狂ったようにイバルラをにらみつけたが、すぐに短剣を取り落とし、イバルラの家を逃げ出した。
 イバルラは逮捕された。

イバルラとクララの別れ

 2~3日後、敵であるはずのエリアスに牢獄から助け出されたイパルラが、マリア・クララのもとに現れた。クララはその時、驚くべきことを打ち明けた。彼女は母の書いた2通の手紙を証拠に、彼女の実の父親がダーマソ神父であることを知った、ダーマソ神父はイバルラとの結婚を絶対に許さないと話したのだった。クララは

 私は、あなたに捧げた心の真実は、けっして忘れません。……未来は暗く、運命は影だらけです!どうしたらいいのか、わかりません。でも私はたった一度だけ愛したことを知っています。そして愛を持たない限り私はだれのものでもありません。

 と苦しい胸の内を話した。そして逃亡者であるイバルラの頭を両手ではさみ、繰り返し口づけし、抱きしめ、それから激しく彼を押し離すと、お逃げなさい、お逃げなさい!さようならと言った。イバルラは、よろめきながら立ち去った。外にはエリアスが待っていた

イバルラの覚醒

 2人はバンカにのり、マニラを横断するバシグ川の上流へと向かった。バンカの中で2人は以前のように2人の未来、フィリピンの前途について議論を始めた。イバルラは、

 今では不幸が自分の目隠しを取り去った。牢獄での孤独とみじめさとが、ぼくに教えてくれた。今ではあの恐ろしいがんが、この目に見える。社会の組織に食い入り、その肉を食い、社会を凶暴に滅ぼしてしまうあのがんが。……ぼくはフィリプステロに、本当のフィリプステロになろうと思う。

 と言い、不幸な人々のがわに立ち、闘う決意を明らかにした。エリアスはこれには賛成せず、イバルラに海外に逃れ時機を待つことを勧めた。
 だが2人のバンカは自衛隊に見つかり銃撃を受けた。エリアスはおとりになって川に跳び込み、イバルラは1人でバンカを操り逃走を続けた、が。

むすび

 イバルラとエリアスの二人はバイ湖をバンカで逃走中ともに行方不明になる。
 だが小説では、エリアスは銃弾を受け死んだことが暗示される。
 怪我をし、弱っているイバルラと見られる人物は、イバルラの家の持ち物の森の中の小屋で死んだ。このコラムでは触れなかったが、小説ではフィリピンの不幸を一身に体現する者として描かれる発狂した女シーサも同じ小屋で、同じ日に死ぬ。

 マリア・クララは尼僧院に入ることを望んだ。雷雨の夜、きれいな若い尼僧が尼僧院の屋根の上で天に向かい、何かを嘆願するように腕と顔とをさしのべ、悲しげに嘆くのが目撃された。小説ではクララのその後については何も分からないと書いているが、その尼僧はおそらくクララだったろう。

ホセ・リサール記念碑ホセ・リサール記念碑

 クララが尼僧院に入った後、ダーマソ神父は、修道会地方管区長から左遷の命令を受け、それを苦にしたのか、自分の部屋で死んでいるのが発見された。
 カピタン・チャゴは闘鶏とアヘンに狂い、やせおとろえ腰のまがったみすぼらしい姿を人目にさらすようになっていた。老哲学者タシオは病み衰えていた。……

 この小説では一つのテーマに対する描写がしつこいくらいに詳しく、長々と展開されている。例えば、イバルラと老哲学者タシオとの会話、何度も出てくるイバルラとエリアスの対話、ピクニックの場面や祭りの描写などだ。このコラムでは残念ながらその一部分しか紹介していない。

 ホセ・リサールがこの小説を書いた意図は、言うまでもなく冒頭の序「わが祖国に」にある通り、スペインの圧政と修道会支配の悪弊をあばき、すべての社会悪もそれらを根源としていることを世に知らしめることにあった。

 ホセ・リサールが今なおフィリピン国民の英雄として尊崇されていることはコラムの初めに述べた通りで、彼が処刑された場所には国立のリサ-ル公園が整備され、リサ-ルの記念碑が建てられている。

 彼の誕生日と刑死の記念日には、全国で記念式典が行われ、彼の2冊の小説はフィリピン人の聖書ともされ、高等教育では彼の伝記と2冊の小説を読むことが義務づけられているという。

コラムニスト
横澤泰夫
昭和13年生まれ。昭和36年東京外国語大学中国語科卒業。同年NHK入局。報道局外信部、香港駐在特派員、福岡放送局報道課、国際局報道部、国際局制作センターなどを経て平成6年熊本学園大学外国語学部教授。平成22年同大学退職。主な著訳書に、師哲『毛沢東側近回想録』(共訳、新潮社)、戴煌『神格化と特権に抗して』(翻訳、中国書店)、『中国報道と言論の自由──新華社高級記者戴煌に聞く』(中国書店)、章詒和『嵐を生きた中国知識人──右派「章伯鈞」をめぐる人びと』(翻訳、中国書店)、劉暁波『天安門事件から「08憲章」へ──中国民主化のための闘いと希望』(共訳、藤原書店)、『私には敵はいないの思想──中国民主化闘争二十余年』(共訳著、藤原書店)、于建嶸『安源炭鉱実録──中国労働者階級の栄光と夢想』(翻訳、集広舎)、王力雄『黄禍』(翻訳、集広舎)、呉密察監修・遠流出版社編『台湾史小事典/第三版』(編訳、中国書店)、余傑著『劉暁波伝』(共訳、集広舎)など。
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